はじめに
今回は、青空文庫でも読める小川未明(おがわびめい)の詩について書いていきたいと思います。
なお、今回紹介する詩に関しては、定本小川未明童話全集3の中から、いくつか選んだものになります。
一つ一つの詩が短いので、言葉に出してみるとリズム良く読める詩が多いです。
それと同時に言葉から発せられる人生の哀しみのような肌寒い温度も是非体感してください。
僕はどうしても人間くさい「疲れ」がにじみ出ている詩が好きなので、今回選んだものも哀しいものが多いです。
しかし、この方は児童へ向けた明るい優しい詩も多くありますので、他の詩も是非読んでみてください。
詩を紐といてみる
子もりうた
坊やはいい子だ、ねんねしな。
泣くないい子だ、ねんねしな。
月の光をながむれば、母さん、父さん、恋しいよ。
水の流れをながむれば、母さん、父さん恋しいよ。
お守りのお里は遠い国。
泣くと、私も泣きたいわ。
坊やはいい子だ、ねんねしな。
泣くないい子だ、ねんねしな
子もりうたという題名なので、赤ちゃんへ向けて歌っているものかと思いきや、お母さんの疲れを歌っている詩ですね。
この詩が少年文庫として出てきたのが明治39年という年なので、「嫁ぐ」ということが今よりももっと重々しいものだったのかなと思います。
間違いなく亭主関白が当たり前で、男尊女卑の時代だったため、この時代のお母さんは哀しみを一人で抱えるしかなかったのだと思います。
そんな情景を、赤ちゃんへの子守歌を歌いながら、本当に泣きたいのはこっちだよと詩にするのは非常に素晴らしいと思います。
哀しみや寂しさと言ったものは、極力避けて通りたいけれど、人生に味をつけるには必要なものかなと詩を見てると思ってしまいますね。
あかい雲
1
あかい雲、あかい雲、西の空の紅い雲。
おらが乳母のおまんは、まだ年若いのに、嫁入りの晩に、海の中に落ちて、紅い雲となった。
2
おまん、おまん、まだ年わかいのに、あかい紅(べに)つけて、
あかい帯閉めて、からこん、からこん、下駄履いて、西のお里へ嫁にいった。
あかい雲、あかい雲、西の空の紅い雲。
特に2がグッときますね。
言葉は非常に美しいのですが、哀しさが伝わってきます。
文化という固定概念を壊すためには、他の意見に気がつく必要があります。
しかしこの気がつくという大切なことは、ただ毎日をぼーっと生きているだけでは気がつかないんですよね。
外国文化が入ってきたり、自分の生活が脅かされるといった非日常が起きた時に初めて人間は他の意見を聞き入れれるのだと思います。
この詩が書かれた時代は、年若くお嫁にいくことが善とされ、女性の想いは少しも考慮されなかったのでしょう。
そんな出来事と、夕暮れ時の雲を見て、終わりを見たのかもしれません。
古巣
つばめが帰るとき
真紅(まっか)な美しい夕焼けに、
少年はらっぱを鳴らして遊んでいた。
家の周囲を幾たびも飛びまわった。
すると、少年の吹いていたらっぱは
窓の下に捨てられて、
赤いさびがところどころに出ていて、泥にまみれていた。
なんともいえない哀愁がだだよってきます。
抑圧された自由という言葉が似合う気がします。
子供時代に持っている無邪気さも、時代のせいで取り上げられて、それすら認めてもらえない、寂しさを感じます。
捨てんでもいいだろという気持ちもしますが、そういうことではなくて、少年がさびにまみれたラッパで遊ぶ時代の厳しさと、それさえも楽しもうと思う気持ちさえ奪う理不尽さが非常に強く出ています。
この詩を読んでいると中島みゆきの「ファイト」を思い出します。
あたし中卒やからね、仕事をもらわれへんのやと書いた女の子の手紙の文字はとがりながら震えているという歌詞に出てくる、震えるような理不尽さが、この詩にも伝わってきます。
まとめ
僕は、人生の理不尽さや哀しみを知ることが非常に好きで、人と話をするときも、どういう苦労をされてきたのかに注目します。
人間は、当然楽しいことをしていることだけで生きていければいいのですが、人生には突然襲いかかる苦労があります。
そしてその苦労に抗うことにその人の本質が見えるような気がするのです。
幸せになるために生まれてきたのに、予想もしない苦労に出会う。
僕がオーダーメイドの詩集を作る時は、そんな苦労に似合う詩を選ぶことが多いです。
なぜなら詩というものは、苦労に寄り添うことでより美しさが出てくると信じているからです。




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